岡藩の家老職は、代々古田織部(織部焼で有名な茶人)の子孫が勤めていました。
その古田家の庭園には、ひょうたん型の優雅な大池や、小高い丘の上にある謎の古墳、「正一位」の称号が許された稲荷神社など、貴重な見所が満載です。
古田織部の娘婿・古田思続が受け継いだ茶道の精神と、当時の風流を伝える庭園づくりの趣をお楽しみください。
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◆ただし、あくまでも個人の邸宅なので見学には許可が必要です。
古城と呼ばれる「騎牟礼城」は、竹田~久住線の沿線、小高い丘の上にありますが、ここに「薩軍(西郷軍)」が大砲を据えて、「官軍」を迎え撃ったことは、あまり知られていません。
熊本鎮台がなかなか陥落しないことに業をにやした「薩軍」の野村忍介隊は、なぜか大分方面へと活路を求めて、竹田市まで進軍してきます。そして、追いかけてきた「官軍(警官隊)」との間で大激戦が繰り広げられたのです。
このとき、竹田市街は火の海に包まれ、結局、野村忍介隊は延岡の可愛岳まで逃げ延びて、ここで降伏するのです。
そして、今でもこの古城からは、当時の薬きょうが見つかっています。
「竹田市における西南戦争の歴史」をつぶさに研究してきた郷土史家による、マニアックな歴史探索ツアーをお楽しみください。
◆なお、研究者やご遺族の方には、竹田西南戦争研究会著『竹田における西南戦争の記録 桃源郷の銃声』という書籍も斡旋しています。